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臓躁と甘麦大棗湯

漢方に「臓躁(ぞうそう)」という病名があります。
これは婦人に多く、“悲傷して哭いてばかり、ものに取りつかれた様子で欠伸(あくび)が多い”と説明されています。

【金匱要略】《婦人雑病篇第二十二》
・婦人藏躁.喜悲傷欲哭.象如神靈所作.數欠伸.甘麥大棗湯主之.
◆甘草小麥大棗湯方.
甘草三兩.小麥一升.大棗十枚.
右三味.以水六升.煮取三升.温分三服.亦補脾氣.

見たとおり、小麦と大棗(なつめ)と甘草の三味で成り立つ食品なみの安全な処方です。
処方構成が余りにも穏やかな内容のため、薬剤としては余り注目を浴びていません。
しかし最近、妻を亡くして独居となった老人から朝晩「いらいらして涙が出そうになる」という相談を受けて、ふとこの古典にあって忘れられている臓躁を思い出しました。

現代ではとかく精神的な病気は頭(脳)の問題として向精神薬で解決しようとします。
しかしそのように局部的な病気と片付けてもいいのでしょうか?
向精神薬という概念もなく、全身療法しか無かった3000年前の人達の考え方をなぞってみるのも無益ではないと思います。


中医心理学には「五臓情志論」なるものがあり、五臓に虚実盛衰の変化が起こると情志活動に影響が出るし、逆に情志活動が五臓に及ぼす反作用もある、と「形神一元」の立場を取っています。
五臓情志とは、五志(喜・怒・憂<思>・悲・恐)がそれぞれ心・肝・脾・肺・腎の五臓に配当され、例えば喜びが過ぎると心を傷つけるし、怒りが過ぎると肝を傷つけるという風に対比させます。
喜怒哀楽が頭(脳)の反応であると同時に有形の五臓という大きな物質に密接に関係しているとみなしています。

いま独居老人が憂思や悲しみから精神を病んだら、それは必ず五臓にも何らかの影響を残します。
昔の人は“五志は火を生み、動けば必ず心に関わる”といっています。
これは喜・怒・憂<思>・悲・恐などの感情が過ぎるとやがて“火熱(ストレス)”を生じ、それが必ず心の陰陽のうちの陰(臓陰)を消耗し乾燥させる、という意味です。
「心は神明(精神)を主(つかさど)る」という前提から心陰が乾燥すると精神が不安定になるのです。
このように結果としてもたらされた五臓の“燥”が精神不安の原因なので、対処法としては心陰を養うことで精神の安定をはかる事になります。

漢方では五穀を分類して麦は肝に、黍(きび)は心に、稗(ひえ)は脾に、稲(米)は肺に、豆は腎に働く穀物と考えられています。
心はそれを包む“心包”という器官によって養われております。
心包は臓ではなく腑であるため自らを養うことが出来ず、その母である肝によって養われています。(五行説)
それで先ず肝の穀物である小麦でもって肝を補充して、その影響下にある心を間接的に養おうとするのです。
また甘草・大棗は甘潤で陰を生ずるので臓器を潤し、燥(躁)を止める補助をします。
心陰を構成する津水血液が、肝から心に達すると臓は燥かず、精神は安定し、嘆き悲しんで溜め息をつくことも無くなります。
こうして編み出されたのが甘麦大棗湯(甘草小麥大棗湯)という稀に見る良方なのです。

温故知新で老人性の鬱病・感情失禁・自殺願望などに応用してみてはどうでしょうか。

また脾胃虚弱だと疲れ易く、「欠伸(あくび)が多い」事にもなります。
それで末尾に「亦補脾氣」とあるのです。

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