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『通俗傷寒論』

 遅まきながらやっと『中医伝統流派の系譜』  黄煌著  (東洋学術出版社2000/12/8) を読む機会を得ました。
これは既に『中医臨床』vol.14-no2(1993)の誌上で、「中国伝統流派の系譜1 通俗傷寒派」のタイトルで著者である黄煌(南京中医学院)教授が翻訳原稿の一部を発表したものです。当時は興味を引かれて次回を待っていたのですが続いての発表はありませんでした。それが2000年に単行本として刊行されたのを見逃していました。
次に、北里研究所東洋医学総合研究所 小曽戸洋氏の序文を引用します。

 ひとくちに中医学、漢方といっても、一様のものではない。中医学というと、整然とした揺ぎない理論に裏打ちされた医学のように思っているむきもあるが、決してそうではない。長い歴史を通じて試行錯誤がくり返され、多種多様の学派が形成され受け継がれてきたのである。……伝統医学の研究や実践において医史文献学的な知識が不可欠であるゆえんはここにある。……本書は従来の中医各家学説を礎としつつも著者独自の卓見をもって再構築し、整理された斬新な書であり、日本で初めて出版される各家学説の書である。

 これを読んではもうジッとしていられません。時代時代の流行病を切り抜けて築き上げられてきた独特で斬新な漢方医学開拓の歴史を垣間見たいという思いに駆られます。今回からその一部、通俗傷寒派の成果である『通俗傷寒論』についてアプローチしてみたいと思います。

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 北宋時代(960年~)には印刷技術が進歩し、『傷寒論』が校訂され刊行される事も多くなったのでしょうか、研究が一気に進みました。1107年頃発刊された、朱肱の『類証活人書』が宋代通俗傷寒派のはしりです。この書は問答体形式で書かれており、通俗的でわかりやすく、身近で実用的であるので後世“通俗傷寒派”と呼ばれるようになりました。

 その学術的特徴は「傷寒」という病気を広義に解釈し、傷風・熱病・中暑・温病・湿瘧・風温・温疫・中湿・湿温・温毒など総てを包含する「一連の傷寒」という概念を構想した事でしょう。もう病名などは要らなくなったのです。その代わり、傷寒本証・傷寒兼証・傷寒夾証・傷寒壊証・傷寒複証などと新たな分類がなされてゆきます。

 通俗傷寒派を集大成したのは兪根初で、代表作が『通俗傷寒論』(1835)です。
これはその後、同郷の何秀山と何廉臣(1861-1927)が手を加え、曹炳章が完成させました(1934年 民国23年)。
それに現代の徐栄斎が再び改訂を加えたのが『重訂通俗傷寒論』1956)で、現在通用しているのがこれです。
更にこのたびは最新版として、北京の中医古籍出版社から横書きの『三訂通俗傷寒論』(2002/5)が発行されましたので漸く我々も手に取ることが出来るようになりました。(つづく)

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SARSと漢方

SARSのことを中国では非典型肺炎、略して“非典”と呼んでいます。
SARSが流行ったのは2003年冬でしたが、一年たってまた冬がやって来て、ぼちぼち鳥インフルエンザに人が感染したという報道もされ始めました。
日本ではSARSを対岸の火事のように眺めていた感じでしたが、あの危期の経験から中国はすばらしい中医学的成果を上げた事が『中医臨床』vol.25-no3(2004/9)98 に詳しく特集されています。
あえて医学的成果と言わずに中医学的成果と断ったのは、西洋医学的には目新しいものは何も無くて中医学的にのみ実績と進歩があったからです。

特集の中で特に目を引いたのは「嶺南温病学」という言葉でした。
嶺南とは広東省・広西省・海南省・香港・マカオ・福建省・湖南省・雲南省・ベトナム北部などの亜熱帯地区を指すそうです。
この地区の気候は湿と熱が特徴的です。
だから病気にも必ず湿熱がからんできます。
漢方の四大経典は『黄帝内経』『傷寒論』『金匱要略』『温病学』といわれており、最後の『温病学』が発展して嶺南地区特有の疾患(マラリヤ等)からまとめられたのが「嶺南温病学」です。
嶺南地区にこういう基盤があったために、2003年のSARS流行時にその原因を「湿温」か「伏暑」ではないかと云われたのもうなづけます。
現在では広州中医薬大学の*登鉄涛教授の提唱する「春温伏湿」や従来からの「伏気温病」という見解に落ち着いています。

残念な事に日本には現地での中医師達の活躍ぶりは殆ど報道されませんでした。
また本家中国においてさへ、今回の中医学が果たしたSARS治療の正しい評価はされていないように思われます。
知っているのは実際に携わった現場の中医師達のみで、折角まとめられた成果の報告書もこのままでは誰にも知られる事が出来なくなってしまいそうです。

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WHOの統計では世界32ヶ国で8,400例以上のSARS患者が報告されており、そのうち中国大陸・香港・台湾で7,700例を占めている。
SARS死亡率を比べると、香港17%、台湾27%、中国大陸7%だった。
そのうち広州中医薬大学のある広州は3.6%、広東省全体では3.8%で最も低かった。
隣の香港と比べて大きな差があるのは、香港では中医師の活躍が無かったからです。

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興味を引いた話題に「凉茶」があります。成分は
 玄参・金銀花・野菊花・白茅根15g 板藍根・連翹・霍香10g 生苡仁30g 茯苓20g (糖分を入れて飲みやすくする)
これは*登鉄涛教授の創作なので「*登老凉茶」とも呼ばれており、直接患者に触れて治療しなければならなかった病院スタッフで、これを飲んでSARSに感染した人は一人もいなかったそうである。

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今回のSARS騒動と比較されるのが、1956年の北方地区の石家庄での日本脳炎流行です。
ここで威力を発揮したのが『傷寒論』の白虎湯でした。
翌1957年には北京で日本脳炎が流行し、再び白虎湯を持ち出しましたが今度は左程の効果がありませんでした。そこで蒲輔周教授が温性化湿の生薬を使って効果をあげました。
更に翌々1958年に広東で日本脳炎が流行したのですが、広東のジメジメした暑い気候では
北京の方法からもう一つ変更しなければなりませんでした。
このように気候風土によって病気の治療法はどんどん変わらなければならないのです。
中医学における「因時・因地・因人」の思想です。

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さて次に日本でSARSが流行したらどうなるでしょうか?
東西医学ともに中国でのマニュアルは出来上がりましたが、気候風土の違う日本でそのまま通用する筈はありません。
果たして日本漢方陣は何が出来るでしょうか?

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