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李老“火鬱発之”を論ず

以下の内容は 李士懋、田淑霄先生の新版《火鬱発之》から摘録した:
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経に云う“火鬱は之を発す”,これを王冰は汗を以って発するだけでは,足りないという。
発するとは乃ち鬱火を透発させて解するという意味である。
景嶽は窓を開いて曝させると喩えており,趙紹琴老師は熱い麺を食べて,残らず振るい出せ,熱くなければ散らす事は出来ないと喩えています。
火鬱の治則を,趙老師は“其の壅塞を祛り,気機を展布させること”と総括しています,気機を暢達させれば,熱は自ずから外へ透達して解し易くなる。
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では如何にして“其の壅塞を祛り,気機を展布させるか”?
其の気機を阻遏する邪の不同,部位の異,程度の別を視て之を祛る。
寒邪は辛温で散じ,湿邪は化し,気滞は疏し,熱結は下し,瘀血は活血祛瘀すべし。
邪が去りて気機が暢達すれば,残った鬱火は自ずから外へ透達して解し易くなる。
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透邪固き事を其の要とする,然し既に火熱が内鬱すれば,また之を清すべし,故に余は鬱火を治すに,“清透”の二字で概括するのである。
透とは,即ち其の壅塞を祛り,気機を展布させること,清とは,即ち鬱伏する火熱を清泄させること。
鬱火を清することは,火熱幡灼を清する事とは異なる,寒凉になり過ぎると,気機を冰伏させ,鬱熱を更に遏伏させてしまう,必ず透を先とし,清を佐としなければならない。

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