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東洋医学の“脾” 2

「膵臓」という新しい名称が出来た日本の事情と同じことが中国でも起ったといえば驚きませんか?
中国では「胰脏」と表します。
中医“脾”“胰”辨 によれば、中国へ解剖学書の《泰西人身说概》が伝わったのが1623年です。
解剖学書といっても骨格や筋肉や脳などの解剖図で、内臓図は無かったようですが。
その後、1851年に内臓図や機能の加わった《全体新論》が伝わり、その頃に[東洋の“脾”]=[西洋の「脾臓」]とされました。
どうも現在の膵臓というものの機能が当時はまだ分かっていなかったのがその理由のようです。
ハッキリした形のある脾臓と違って膵臓は脂肪のような組織なため(『難経』には「脾の重さは二斤三両、扁広三寸、長さ五寸、散膏半斤を有し、裹血を主り・・・・・」と説明されており、“散膏”とは脂肪塊のようなものを指す)、臓器と認め難かったのでしょうか。
経緯は分かりませんが、不明のそれに新たに「胰脏」の名が付けられました。
その後のことですが、中医師の張錫純(1860‐1933)は《医学衷中参西録》中で「胰脏」は“脾之副臓”である、と述べているそうです。これは既に脾臓の名が社会的に認められてしまったからには、今更正すと却って混乱を招くので、脾はそのままに、これの副臓と言えば「胰脏」がいくらかでも“脾”に近づくのではないかと意図したと思われます。
日本では「膵臓」という単語を造語し、中国では「胰脏」の文字を当てて、図らずも双方とも“脾”を間違えてしまったのです。

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東洋医学の“脾”

東洋医学の“”は西洋医学の「脾臓」とは異なる事は、一般の人にはあまり知られていないようです。これは一度はハッキリと解説しておかなければならない事です。
日本では1770年頃に『ターヘル・アナトミア』という西洋の解剖学書が前野良沢や杉田玄白によって入手され、その解剖図が罪人の腑分け(解剖)の際の実物とあまりにもそっくりなのに驚いています。
それまでの東洋医学の『頓医抄』などの解剖図は模式的で実際とはかけ離れたものだった為いっぺんで、東洋医学はいい加減で空想だ、これからは西洋医学でなければならないという風潮になったのでしょう。以後、臓腑の図は新たな翻訳書『解体新書』のものへと変遷します。
さてそこで、この図に名称を付けるにあたって困ったことが一つありました。肝臓、心臓、肺臓、腎臓などは東洋医学のものと西洋医学のものは同じですが、東洋医学の“”に当たるものが明確ではありませんでした。
現在でいう「膵臓」は黄色い組織であるため脂肪と考えられやすかったのか、はっきりした経緯は分かりませんが、前野良沢と杉田玄白はこれとは別のも少し小さな臓器に「脾臓」を当てました。それが現在も「脾臓」として罷り通っているものです。すると脂肪のような組織に当てはまる臓器が無いので新たに「膵臓」という名称を作りました。
東洋医学では脂肪のような組織と別のも少し小さな臓器の両方を合わせて“”と考えていたため、ここで混乱が起こりました。
東洋医学と西洋医学では「脾臓」が異なるのです。
まとめますと東洋医学の“脾”は西洋医学の「膵臓」と「脾臓」を合わせたものです。
西洋医学では「膵臓」と「脾臓」を区別しています。
問題は、西洋医学の「脾臓」をもって東洋医学の“”と同じだと考えると大きな間違いになります。
現在の日本漢方界の伝統では昔ながらの“”の意識で言葉を用いますから、これを聞いた一般の方はそれを「膵臓」と「脾臓」を合わせたものとして受け取らなければならないのです。

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