痰を見て痰を治せず
正確には「見痰休治痰」と云うそうです。
『中医臨床』v36-1 で治痰の特集があり、そこに出てくる言葉です。
一方で「脾は生痰の源、肺は貯痰の器」という言葉もよく目にします。
これは痰飲病を治す時のキメせりふで、脾肺の両臓から治療を進めるべしという意味です。
「見痰休治痰」というのは「本となる疾病がもともとあって、そこへ標となる痰が付随する」時のことです。
あえて標治をせずとも本治さえしっかりやっておけば疾病が治ると共に痰も無くなるという意味です。
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この言葉を見てハッとしたのは心当たりがあったからです。
2008年7月にあった妻の「激しいめまいと嘔吐」のことです。
症状は「めまいと悪心」で、実際には嘔吐は無かった。
あの時は「痰飲病」と考えて、苓桂朮甘湯+沢瀉湯 を用いたが効いたという確信はなかった。
あの時は頭から“痰”だと思いはまっていた。
だから生痰の源である脾胃を治さなければならないと思っていた。
しかし今から考え直すと痰は標証であって、本証の病原は別にあったのではなかろうか?という事です。
『中医臨床』には引き続き「補腎化痰による老年疾患治療」という特集が出ています。
そこで取り上げられている高齢者の眩暈の例を見た時、私の間違いに気がついたのです。
改めて「補腎化痰」という立場から眩暈について考えてみると妻のケースにも思い当たることが沢山あります。
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補腎化痰湯《鄭紹周》(仙霊脾・沙苑子・葛根4 菟絲子・沢瀉6 白僵蚕・菖蒲・生蒲黄3)33
痰濁中阻して,胸悶悪心嘔吐があれば、+ [党参・竹茹2.5 焦白朮3 茯苓4]
このふたつの処方などは良い候補ではないかと思います。
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