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『方伎雑誌』尾台榕堂から

「本書は藤平 健先生が絶賛した、尾台榕堂の最晩年の著作で、医療哲学・治療経験の集大成されたもの」と云われているものです。
尾台榕堂は「安政3年(1856)頃には浅田宗伯と並んで、江戸の二大家として名医の評判が高かった。」いわば日本式漢方・古方派の代表の一人です。
著作に『類聚方広義』『重校薬徴』などがあります。

この度、このように評価の高い名医の『方伎雑誌』を読みまして、“はてな、違うのじゃない?”と思ったので、正直なところを発表します。

~引用~
余五十年来、仲景方ばかり使い来たりし故に、古方は家常茶飯の如くになりて、如何ようの病人にても、仲景方にて窘塞(不足)することなく、又 闕乏(欠乏)することなし。
医たる者、何ほど才気有りとも、博識なりとも、晋唐宋元明清の方剤(中国医学)を雑掇し置き、自己の臆揣(臆測)にて、臨時に彼此と捜索し用いては、生涯治術の法則紀律は立たぬなり。
凡そ医たる者は、少年の時より、仲景の書を読みながら、白首(白髪頭)になりても、方用の手に入らぬは、古今の方を濫用するが故なり。
 薬能を確知せんと欲せば、『薬徴』を熟読すべし。方意を詳(つまびらか)にせんと欲せば、『類聚方』を玩味すべし。方用を自在にせんと欲せば、『方極』によるべし。
この三書は東洞翁数十年実歴親験の上にて、撰著したるもの故に、豪も空論懸断に渉ることなし。
論説皆な著実なり。故にこの三書を根拠として、終始仲景方ばかり使用すれば、自然我が物となり、活用追々巧者に成るなり。

古方派中興の祖といわれる吉益東洞を“べた褒め”で、ガチガチの古方派です。

~引用~
 歴代の医人、幼稚の時より、素霊難経を読み習い、その習気自然と、肺腑へ染みこみ、愚俗の仏説を信ずるが如く、終始その意を離れずして、仲景の書を、解釈するゆえ、純に『傷寒論』の旨を得ること能わず、こねまぜの医者となる。これは仲景の医法も『内経』より出でたる物と思い、『内経』も『傷寒論』も、医事に於いては、その旨同一なりと、思う故なり。
 漢人は日本人よりも学問該博故、素霊難経等を、解釈すること、甚だ精密にして、日本人の及ぶ所に非ざるなり。然れども其の意を以て、医事を説くゆえに、議論は至りて高上なれども、事術は甚だ迂闊拙劣なり。独り元の張従政、明の呉有性は、専ら力を治療に用ゆ。故に自得発明の言多く、その説反駁ありと雖も、その技術に至りては、他人の及ぶ所に非ず。清の徐霊台も卓絶の論多し。然れどもその書を夷攷(考察)するに、まま精密に過ぎて、反って治療に切実ならざる所あり。且つ三子共に素難(『素問』『難経』)の習気を脱せず。これ漢人の弊習なり。惜しむべし。

中医学は理屈ばかりで実地に弱い、とバッサリ切り捨て、『素問』『霊枢』『難経』などを読むから『傷寒論』が理解できないのだと。

~引用~
漢人は『素問』以下 明清に至るまで、腎は精を造ると云い、精を納むと云い、八味丸を補腎剤なりとて、所謂 腎虚の症に用い、以て腎臓を補うの最とす。その議論診察 皆 空断憶料にて、曖昧含糊の治療、固より弁ずるに足らず。これは薬物は、各 寛猛和攻の能は変わるとも、等しく攻病の具なりという理を知らぬ人の論から、遂に衍を伝えしこと既に二千年なり。独り東洞翁は、八味丸は利水の剤にて、補腎と云うは誤りなりとて、『薬徴』にこれを弁ぜり。洵に千古の卓説と云うべし。‥‥‥‥腎は脊腰のあたりに位して、左右にある物なること、黄吻の童も知りたることに候。一方を腎、一方を命門と云うなど、誰が字づけたる者に候や。これを云うも、一呆痴なるべし。これらの誤説、取るに足らず候。腎は小便の製し所にて候。‥‥‥‥唯々呉々も、腎臓の小便一通りを、司り居ることを知り、精汁には、少しもかからぬことを会得あるべく候。

「薬物は、等しく攻病の具なり」と“万病一毒説”に偏った見解で、八味丸は利水剤だとさ。

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