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王孟英1

王士雄,字孟英
医術
1824年の夏、塩業総督の周観源は27歳で、肥満体で白い肌をしていたが、トイレに行った後、急に冷や汗をかき、口や唇が白くなり、声がかすれて出なくなった。 医師はそれを「熱中症」と診断し、辛香開竅薬を使おうとした。王士雄は、患者の脈がすでに微軟で絶えなんとしており、陽気が脱しようとしていることを知って、辛開剤を使えば、死が早まると反対した。医師達は彼がまだ若くて無知なのを笑い非難した。幸い患者は薬のことを知っていて、王士雄の言うことも一理あると思ったので、処方してもらいました。薬を買うまでのつなぎに、王士雄はたまたま一片の古生姜を持っていたので、急いで煎じ汁を喉に流し込ませるや、服后に体調がかなり良くなりました;次いで人参、黄芪、白朮、甘草等で補い,治癒することが出来た。

以後、病気の時には治療を依頼されることが多く、その期待に応えて多くの重症患者を救ったため、医師としての評価が高まった。
婺で9年を過ごし、王士雄は杭州に戻ってきました。彼は向上心に満ち溢れ、医学の為に尽くす決意をしていた。当時の杭州では、温熱病がよく見られ、医師は傷寒の論治から、用薬は辛燥温散か、さもなくば厚膩滋補薬を使うことが多かった。王士雄に治療を依頼した人のほとんどは、他の医師が誤治してしまった複雑な病証だったが、彼の優れた医術で数え切れないほどの人を救った。

1836年春、四川省の石符生は杭州を経由する途中で病に倒れ、陳という医師に治療を受けたが、症情は重くなるばかりだった。王士雄が到着すると、すでに手足は冷たく、体は冷たく、痰涎を吐き、尿は少なく、脈は沈んで渋滞し、数も分からなくなっていた。
王士雄は言った、これは旅の途上で風湿を感受し、直ぐに清理解散しなかったので、邪は熱化し、加えて温補薬を誤用したのと相まって、気機が窒塞され、邪熱は出路を失い、液は痰となり、逆行上攻したので、このような危象になったのだ。
患者には大丈夫だ、疏利清化薬を飲み、痰熱が去れば病気は好くなると説明した。使用した薬は、黄芩、枳実、橘皮、梔子、淡豆鼓、桔梗、杏仁、貝母、鬱金、通草、紫菀、竹茹、芦菔汁等だった。3剤を服用して危険を脱し、起き上がって歩けるようになり、10日間の治療で完治した。

王士雄は生前、熱心に執筆し、子孫に学術的価値のある医学文献を数多く残しましたが、その中でも《随息居重訂霍乱論》《温熱経緯》《随息居飲食譜》《帰硯録》《潜斎医話》《王氏医案》などが主な著作です。
百度百科 より

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