書籍・雑誌

『傷寒論の読み方50』

最近大変うれしい書物が東洋学術出版社から出版されました。
『傷寒論の読み方50』裴 永清 著(2007/2/5)
少しづつ大事に読ませてもらっています。そこで気が付いたことがありましたので一言。

第17論「五苓散の臨床応用について論じる」
1 五苓散は癲癇病を治療できる
《金匱要略·痰飲咳嗽病脈證並治第十二》篇「二十五,假令瘦人臍下有悸者吐涎沫而癲眩,此水也,五苓散主之」。

ここの条文の「癲眩」という単語を、著者は「癲癇とめまい」と二つの意味を表す言葉として解釈して論考を進めています。
しかしこれは間違いではないかと私は水を差すのです。
何故なら頭暈(めまい)という意味は古来いろいろな単語で表されているからです。
例えば"頭眩"、"掉眩"、"眩冒"、"目眩"、"眴仆"、"冒眩"、"風眩"、"頭旋"、"眩暈"、"眩運"などと。
いま《金匱要略》で癲眩と表記されているのも同義で、癲の字は「巔」の誤りで、巔とは巔頂すなわち頭のことであり、"頭眩"と同義である。
またもう一つ「瘦人」とあるのも「病人」とすべきところを転写の時に誤ったのではないかという説もある。
ちなみに上の条文は次の様に解釈される。

臍の下で動悸するのは「水停」が臍下にある病で、今まさに涎沫を吐くのは胃からの「水逆」であり、巔眩するのは「水が陽を阻む」からである。これは「水盛」であるから五苓散が主るのである。

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『漢方製剤の偽装』

 成川一郎【著】 光雲社版 2006年04月 発行

 著者の奥さんから郵便で上記書物の贈呈を受けました。
すでに佐賀の温心堂薬局さんがインターネットHPの【漢方雑感】で詳しく感想を述べておられます。
この書物を読めば成川さんが最も云いたい「製薬メーカーの偽装」告発がよく分かります。

それとは別に私が着目したのは次の2点でした。
1. 安中散、平胃散、桂枝茯苓丸などの精油成分を含んだ薬草からなる漢方処方をエキス化すると、精油は完全に揮散してしまう。
2. 中国の人が「日本人はなぜ安中散、五苓散、八味丸などの丸散薬までをエキス化するのか?」と問うた事。

精油揮散は有効成分の損失そのもので、漢方薬を無効にする致命傷です。
この事はエキス化に於いてのみならず、煎じ薬を作る場合でも気をつけなければならない事です。

日本全国で漢方薬を使う病院や医師は数え切れない程ありますが、その殆どは保険診療のためエキス剤を使用しており、煎じ薬を用いるのはごく小数に過ぎません。
この少数派を大事にしなければならないのは勿論ですが、貴重な少数派に於いても精油揮散については万全を期さなければなりません。
さもないと折角の煎じ薬も中身の無い只の出し殻になってしまいかねません。

医薬分業で、大学病院などの医療機関から漢方煎じ薬の処方箋が発行され、薬局がこれを受けて調剤する事があります。
多くの医師は処方を知っていても薬草までは知りません。
調剤する薬剤師も正規の講義を受けた事が無いので処方も薬草も余り詳しくありません。
余り詳しくない者同士が組むと、医師はただ処方を書き、薬剤師はただ計量・混合するだけになります。
いくら証がどうのこうのと云ったって、煎じる段階で精油揮散があっては処方が効能を発揮できません。

はっきり云いますと、煎じる時に揮発性の薬草は後で入れるようにしなければならないのです。
回ってくる処方箋のなかに「紫蘇葉」はまだしも、「薄荷」があれば絶対に“後下”といって煎じ上がるちょっと前に投下しなければなりません。
最初から入れておくと煎じ上がった時には精油は全部飛んでしまっています。
香蘇散、逍遙散、防風通聖散、消風散、参蘇飲などの場合です。
医師はこの事を知らないし、どの薬局でも薄荷を別包にせず他の薬草と一緒に包んでしまっています。

ついでに気を付けてほしいのは薬草の“修治(加工)”のことです。
黄ごん、何首烏、杜仲、遠志、続断、牛膝、菟絲子、亀板、白僵蚕、車前子、麻子仁、桃仁、杏仁、牛蒡子などなど、沢山の薬草は使用前の加工をしなくては充分な効能を引き出すことが出来ません。酒で蒸したり、火に焙ったりするのです。
煎じ薬でさえそうですからエキス剤などは云うまでもありません。何にもしてありません。

本当の漢方を実践したくて、自分が出来る事ならやらなければならないと私は実行していますが、全国の同業者にも是非これを知ってほしく思います。

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小柴胡湯の誤用

『通俗傷寒論』を読んでいると、本場中国で老中医達が営々と築き上げてきた歴史の過程と努力を垣間見ることが出来るように思います。
たとえば小柴胡湯のところには次のような解説がなされています。

【廉勘】 小柴胡湯はただ風寒正瘧の病で、邪が少陽に在る者に用いるべきである。若し温熱暑湿の諸瘧で、邪が口鼻から入る場合は脾胃の气が既に窒滞してしまっているから、両者はハッキリと区別しなければならない。もし後者に小柴胡湯を使うと、処方に含まれる人参・甘草・生姜・大棗には温補の作用があるので外邪を助けることになる。すると最悪の時には「液涸神昏(高熱になり体液が枯れて意識が朦朧とする)」となるし、又そうでなくとも次第に邪が停留し結ぼれて「痞」となり、陰液を耗傷して遂には「瘧癆」となる。
これは王孟英の言葉である。此の処方を用いるにはよくよく気をつけなければならない。


また柴胡四物湯のところには、
【秀按】少陽の証は初めは病が气に在るけれど長引くと必ず絡(厥陰之肝絡)に入る。もし往来寒熱の状態だけを見て安易に小柴胡湯を投与したら、温補助陽の働きがある人参・生姜・大棗が却って血を毀損することになり、熱はいよいよ高くなる。熱が結ぼれると表裏は更に固閉されて内火はますます熾んになり、たちまち陰を竭きさせて肝風は内動するだろう。


加減小柴胡湯では、
【廉勘】葉天士先生曰く、婦人の経水が丁度来た時に外邪を受けて熱入血室の状態になったら、仲景は小柴胡湯をあげている。この中の人参・大棗は胃气を扶けるので、陽明に所属する衝脈が虚しておれば合致する。しかし若しも熱邪が陥入して血と相結べば陶氏の小柴胡湯去人参・甘草・生姜・大棗 加生地・桃仁・査肉・丹皮、或いは犀角等がよい。


(*)このように小柴胡湯の中の、比較的安全とされる人参・甘草・生姜・大棗の4生薬について、使い方を誤ると大変な事になると忠告しています。
思い出されるのは、かつて新聞報道で騒がれた小柴胡湯の長期連用による間質性肺炎の事件です。本当に慢性肝炎に小柴胡湯を使っても良かったのか、猛反省しなければなりません。

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『通俗傷寒論』6

[2] 傷寒兼証

兼証とは寒邪が他邪を兼ねたり、他邪に寒邪を兼ねたり、二邪が兼発したりする場合で21証ある。

(1) 傷寒兼風(俗称冷傷風,仲景《傷寒論》名日中風)

【因】風と寒を同時に感受した場合。
 寒>風  正傷寒
 風>寒  冷傷風
四時感冒で重いものは俗称重傷風という。

【証】頭痛身熱,悪風怕冷,鼻塞声重,咳嗽清涕,痰多白滑而稀,或自汗而咳甚,或無汗而喘息,舌苔白薄而滑,甚或白滑而膩。

【脉】傷寒なら左手脉は浮緊である筈なのに、今は反って浮緩で、右手は浮滑ならば、此れは傷寒に風脉が現れている。《内経》でいう、傷風は先ず上より受ける。風寒が客すれば、病は肺より入る。乃ち営衛并傷の候である。《難経》でいう五種傷寒の一つである。正傷寒の多くは先ず足太陽経より入り、冷傷風の多くは先ず手太陰経より入る。

【治】自汗ありて咳すれば,先ず営衛を調えるところから。桂枝橘皮湯加杏仁(去皮勿研,三銭)、前胡(二銭)。無汗にして喘すれば先ず肺气を疏通するところから。新加三拗湯加減。此の后で痰稀咳甚なら、小青竜湯去麻黄,加杏仁、橘紅にて消痰止咳する。痰多咳甚なら、越婢加半夏湯にて宣肺定喘する。病人は切に酸冷油膩等の物を禁ずる。

【秀按】冷傷風の証について、《内経》では、風が外より入り振寒せしめ、汗出頭痛,身重悪寒があれば、治は風府に在り。其の次に張氏は《傷寒論》で、太陽病で発熱汗出,悪風して脉緩なら中風と云う。太陽中風は脉が陽浮・陰弱となる。陽浮とは熱が自発することで、陰弱とは自汗が出ることである。嗇嗇悪寒,浙浙悪風,翕翕発熱,鼻鳴干嘔者,桂枝湯主之。此れは皆な后世で云う所の風寒病である。風は傷衛し、寒は傷営する。若し悪風自汗と悪寒無汗の両証があれば、一方は頭痛鼻涕があっても周身は痛まないし、一方は頭身倶に痛み、腰と骨節もまた疼む。一方は脉浮緩で、一方は脉浮緊である。証と脉はハッキリと区別される。汗の有無について云えば、正傷寒証はもとより無汗だが、重傷風証では汗が有る者と無い者がある。桂枝湯は本来風寒を発汗する剤であり、麻黄湯に比べて緩和なだけである。それを無汗なら発するし、有汗なら止めると言うのは誤りである。

【廉勘】重傷風の証は難治である。医家はたかが傷風と侮ってはならない。前哲、徐霊胎は《傷風難治論》でいっている。傷風は皮毛より肺に入る。肺は嬌臓である。太寒すれば風气は凝って出ていかない。太熱すれば肺を火爍し動血する。太潤すれば痰飲を生ずる。太燥すれば津液を消耗する。太泄すれば汗出て陽も虚す。太渋すれば气閉して邪は結ぼれる。病を軽く見て風寒を避けず、飲食を慎まなければ、年月がたつと病機は深くなり、或いは血証となり、或いは肺痿となり、或いは哮喘となり、或いは怯弱となる。余は此の証を治するに、自制の疏風止嗽湯(荊芥穂銭半,蘇薄荷一銭,光杏仁二銭,広皮紅八分,百部銭半,清炙草六分,紫苑二銭,白前銭半)を投じてしばしば効験がある。太熱太燥大泄,太寒太潤太渋とならず、病人も安心できる。処方は平淡でも収效は多い。

【栄斎按】重傷風が三四日后に悪風怕冷の症状が除かれ、発熱・頭痛・全身疼痛・鼻塞声重・咳嗽痰が多くなれば、聶云台先生の重傷風標准湯が採用できる。処方:黄苓二銭,白芍二銭,連翹三銭,象貝三銭,蝉退一銭,竹茹三銭,桑白皮三銭,桑叶銭半,枳売一銭,杏仁三銭,枇杷叶三銭包煎,薄荷八分泡勿煎。重慶市の第七人民医院の沈仲圭先生は此
の方は発汗解熱,鎮咳去痰に効果があり、流行性感冒(即重傷風)に用いられると云っている。

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以下、傷寒兼湿……風温傷寒……など全21証あるが略す。

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『通俗傷寒論』5

(3) 両感傷寒

【因】身体に陰寒の气を受け、口には生冷の物を食し、表裏ともに両感する。夏季、夜間の涼に当たり過ぎたり、氷水瓜果を食べて発することが多い。

【証】頭疼体痛,身重悪寒,目瞑嗜臥,少气懶言,手足微冷,雖身熱亦不渇,下利清谷,甚則両脚筋吊,舌苔白而嫩滑,甚或灰而淡白,或灰黒膩苔,舌質嫩滑湿潤。

【脉】沈而遅,甚則沈微。沈為邪陥,遅為寒凝,微則陽气欲絶。朱丹渓いわく「表裏皆寒でどの経絡か分けにくい。散らすべき熱はなく、温補すれば自ずと解けるが急治しないと危うい。」

【治】《素問》では寒に両感すれば必ず死す、不治だという。仲景いわく「両感病の治療には先后の順がある。」 朱南陽いわく「先ず裏を救うには四逆湯がよい。后で表を救うには桂枝湯がよい。」 然し余の所験では、持って生まれた免疫力に虚実があり、感染に浅深がある。虚で感が深ければ必ず死ぬし、実で感が浅ければ治る。法は当に先ず其の裏を温めなければならない。附子理中湯加公丁香(二十支)、わい肉果(銭半)。裏が温まり陽が回復すれば下利は止り手足が温かくなる。若し猶お頭身が痛く、悪寒し筋急すれば桂枝加附子湯で陽气を温通すれば解表する。表が解けても胃口が開かなければ香砂二陳湯で中陽を温運して健胃すれば病は自ずと愈える。

【秀按】両感傷寒は夏月に最も多い。后賢は皆“中寒”と呼ぶ。兪君は丹渓、南陽の両家の治法を参用している。

【廉勘】両感傷寒の症には兪氏は救裏救表と其の先后緩急を守れという。もし下利が止まらず肢冷筋吊すれば先ず裏を救う。若し下利が少なく足筋が吊らず、頭身が劇痛し、発熱悪寒すれば先ず解表すべきである。
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次の二つは稀に見る証なので省略。
(4) 伏气傷寒(古人名腎傷寒)
(5) 陰証傷寒(《内経》名中寒,即直中陰経真寒証)

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『通俗傷寒論』4

(2) 大傷寒(一名正傷寒,張仲景先師但名曰傷寒)

【因】立冬后の厳寒から春夏秋にかけて暴寒に触れたり、汗をかいた後に風に当ったりして寒を受ける。張長沙は傷寒序例で「傷寒の多くは風寒より得る」と云っている。

【証】頭痛身熱,悪寒怕風,項強腰痛,骨節煩疼,無汗而喘,胸痞悪心,舌多無苔而潤,即有亦白滑而薄,甚或舌苔淡白。

【脉】左浮緊有力,右多浮滑。浮則為風,緊則為寒。有力而滑,則為表寒実象。此太陽経表証標病也。

【治】辛温発表法で全身が汗ばむのがよい。発汗法には蘇羌達表湯(*1)がよい。婦女は理气発汗法として香蘇葱鼓湯(*2)がよい。小児は和中発汗法として葱鼓荷米煎がよい。若し発汗が徹底しないと表寒は散っても裏に水鬱が残る。口渇して水を飲むとたちまち吐く。小便不利して短数淋渋となり、舌苔は純白で厚く、脉左弦滞、右浮弦而滑となる。此れは「水蓄膀胱」で、太陽経から裏へ伝ったのである。化气利水法によく、苓朮二陳煎で治す。張氏の五苓散(生晒朮一銭,浙茯苓四銭,猪苓二銭,澤瀉二銭,官桂五分,共研細末,毎服三銭。広皮一銭,生姜二片,泡湯調下)も亦た効果がある。傷寒は伝変しやすく、火化・水化・水火合化の三つの形を取る。火化すれば少陽相火証・陽明燥実証・厥陰風熱証となる。水化すれば陽明水結証・太陰寒湿証・少陰虚寒証となる。水火合化すれば太陰湿熱証・少陰厥陰寒熱錯雑証となる。大抵は火化証が水化よりも多く、水火合化も結構ある。

(*1)蘇葉・防風・杏仁・羌活・白止・橘紅・茯苓皮・生姜
(*2)香蘇散合葱鼓湯

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『通俗傷寒論』3

傷寒には[1]傷寒本証 [2]傷寒兼証 [3]傷寒夾証 [4]傷寒壊証 [5]傷寒複証がある。

[1] 傷寒本証

(1) 小傷寒(一名冒寒,通称四時感冒)
 これは冒寒の小疾で、ただ皮毛が襲われただけなのでまだ経絡には入らない。

【因】四時偶感寒气,或因貪涼冒風。

【証】肌膚緊縮,皮毛粟起,頭痛怕風,鼻塞声重,頻打噴嚔,清涕時流,身不発熱,故無伝変。舌如平人,苔或白薄而潤。

【脉】右浮,左弦而緩,浮則為風,弦而緩,則為受風中之涼。

【治】辛散軽揚法で皮毛を疏達する。葱白香鼓湯によし。
 鮮葱白五枚(切砕),淡豆鼓三銭,鮮生姜一銭(去皮)。
 上葯用水碗半,煎成一碗,去渣熱服,覆被而臥。俄頃即微微汗出而解。忌酸冷油膩数日。自無伝変。

【秀按】此の方は《外台秘要》にあり、応用は元代の丹渓翁に始まり、明代の王氏肯堂に継がれ、今は兪君根初に伝わる。古えのものを今に応用する簡方である。

【廉勘】四時猝然として感冒するのは小傷寒である。葉氏云わく:寒喧に対して辛温を用いるか、或いは辛涼を用いるかの見識が大切である。この方はもっとも簡単な処方である。

【栄斎按】“小傷寒”とは普通感冒症である。何廉臣先生は“冒風とは鼻傷風なり。病人がこれを軽視して服葯を怠り、風寒を避けず飲食を慎まないとやがて咳逆痰多・胸悶胃鈍となり、或いは発熱し、肺の病いを発する。”と警告している。そうなれば又、程鍾齢の止嗽散(桔梗、荊芥、紫苑、百部、白前各八銭,陳皮四銭,甘草三銭,共研細末,毎用三銭,開水送下,一日二三次)がよく效く。葉橘泉いわく“田舎の人は寝る前に姜、葱湯で粉末を送下している。昼間飲んでも夜ほどは効かない。一服で愈える者もあるが普通は二三服必要である。”

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『通俗傷寒論』2

六経弁証

 “六経”という概念が最初に現れるのは『素問』の熱論です。
有名な「傷寒一日巨陽受之」から始まり順次に陽明・少陽・太陰・少陰・厥陰へと伝わるようになっています。しかし張仲景の『傷寒論』が描く現実の傷寒病では、必ずしもこのように順次正しい伝経はしませんし症状も一致していません。『素問』の六経と『傷寒論』の六経については古来幾たびも議論されてきた事です。

 兪根初はもともと『傷寒雑病論』とは“傷寒”だけの治療書ではなく、外感百病の治療書であったのだが、仲景の死後わずか10年で戦乱のために散逸し、一部しかて伝わらなかったものである、という立場をとりました。だから『傷寒論』でいう六経は外感百病に通用するものでなければならないとし、『素問』の影響から脱却して新たな六経理論を完成していきました。

 『通俗傷寒論』の第一章 第一節は六経形層という概念から始まっています。

「太陽経主皮毛,陽明経主肌肉,少陽経主*湊理,太陰経主肢末,少陰経主血脉,厥陰経主筋膜。」

【栄斎按】 ここで云うところの六経とは名前を六つの経絡名に借りているけれども病位を示しているのではなく、“代号(仮称)”として仮に名づけた六つの層次に過ぎない。

「太陽内部主胸中,少陽内部主胸中,陽明内部主*完中,太陰内部主大腹,少陰内部主小腹,厥陰内部主少腹。」

【秀按】 これは六経が三焦をも含めて指すことを示している。仲景は『傷寒論』の中で、胸中と云ったり心中と云ったり、心下と云ったり胸脇下と云ったり、胃中と云ったり腹中と云ったり、少腹と云ったりしてはっきりと三焦という名称は使っていないが、六経とは感染伝変の路径であり、三焦とは感染伝変の帰宿である。つまり上焦は心肺を主り、中焦は脾胃を主り、下焦は肝腎を主る。

【廉勘】 三焦の膈膜以上は清气が主り、肺と心である。膈膜以下は濁气が主り、脾胃二腸と腎膀胱である。清濁を分ける中間にあるのが膈膜で、肝胆の部分である。膈下から上り、胸脇に至る清气と津液の往来の場所に病が起こるとすれば、それは痰涎水飲の邪が气と結びつく事に外ならない。胃中*完より腹中から少腹に及び手に触るのは渣滓淤濁の物である。邪气はこれらに取り付いて下証となる。これが上中下三焦の大要である。


六経病理

 傷寒六経とは、陰陽・寒熱・虚実・表裏の総て(いわゆる八綱)を表す代名詞である。

太陽・陽明・少陽……陽病 熱病 実病
太陰・少陰・厥陰……陰病 寒病 虚病

太陽……表 熱 実……発熱悪寒……可汗
少陰……表 寒 虚……無熱悪寒……不可汗(四肢必厥逆)

陽明……裏 熱 実……胃実……可下
太陰……裏 寒 虚……自利……不可下

少陽……半表半裏 熱 実……寒熱往来……可清解(三焦不和にすぎない)
厥陰……半表半裏 寒 虚……厥熱来復……不可清解

【栄斎按】 この(新増)解説は1935年、陳遜斎先生の講演要旨である。
三陽病の多くは進行性で体力は尚強壮であり、三陰病の多くは退行性で体力は已に衰弱している。精にして簡に云えば:三陽は実、三陰は虚。三陽は表実・裏実・半表半里の実、三陰は气虚、血虚、气血両虚と云える。
(つづく)

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『通俗傷寒論』

 遅まきながらやっと『中医伝統流派の系譜』  黄煌著  (東洋学術出版社2000/12/8) を読む機会を得ました。
これは既に『中医臨床』vol.14-no2(1993)の誌上で、「中国伝統流派の系譜1 通俗傷寒派」のタイトルで著者である黄煌(南京中医学院)教授が翻訳原稿の一部を発表したものです。当時は興味を引かれて次回を待っていたのですが続いての発表はありませんでした。それが2000年に単行本として刊行されたのを見逃していました。
次に、北里研究所東洋医学総合研究所 小曽戸洋氏の序文を引用します。

 ひとくちに中医学、漢方といっても、一様のものではない。中医学というと、整然とした揺ぎない理論に裏打ちされた医学のように思っているむきもあるが、決してそうではない。長い歴史を通じて試行錯誤がくり返され、多種多様の学派が形成され受け継がれてきたのである。……伝統医学の研究や実践において医史文献学的な知識が不可欠であるゆえんはここにある。……本書は従来の中医各家学説を礎としつつも著者独自の卓見をもって再構築し、整理された斬新な書であり、日本で初めて出版される各家学説の書である。

 これを読んではもうジッとしていられません。時代時代の流行病を切り抜けて築き上げられてきた独特で斬新な漢方医学開拓の歴史を垣間見たいという思いに駆られます。今回からその一部、通俗傷寒派の成果である『通俗傷寒論』についてアプローチしてみたいと思います。

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 北宋時代(960年~)には印刷技術が進歩し、『傷寒論』が校訂され刊行される事も多くなったのでしょうか、研究が一気に進みました。1107年頃発刊された、朱肱の『類証活人書』が宋代通俗傷寒派のはしりです。この書は問答体形式で書かれており、通俗的でわかりやすく、身近で実用的であるので後世“通俗傷寒派”と呼ばれるようになりました。

 その学術的特徴は「傷寒」という病気を広義に解釈し、傷風・熱病・中暑・温病・湿瘧・風温・温疫・中湿・湿温・温毒など総てを包含する「一連の傷寒」という概念を構想した事でしょう。もう病名などは要らなくなったのです。その代わり、傷寒本証・傷寒兼証・傷寒夾証・傷寒壊証・傷寒複証などと新たな分類がなされてゆきます。

 通俗傷寒派を集大成したのは兪根初で、代表作が『通俗傷寒論』(1835)です。
これはその後、同郷の何秀山と何廉臣(1861-1927)が手を加え、曹炳章が完成させました(1934年 民国23年)。
それに現代の徐栄斎が再び改訂を加えたのが『重訂通俗傷寒論』1956)で、現在通用しているのがこれです。
更にこのたびは最新版として、北京の中医古籍出版社から横書きの『三訂通俗傷寒論』(2002/5)が発行されましたので漸く我々も手に取ることが出来るようになりました。(つづく)

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『新しい医療革命』

『新しい医療革命』西洋医学と中国医学の結合
清水宏幸 著
集英社版 2004.7.10

『中医臨床』 (vol.25-no3(2004/9)98) で平馬直樹氏がこの本の書評を書いておられます。
そこには著者自身のC型肝炎を中医学で改善されたこと、中医学に較べて日本漢方には理論が無くて口訣に寄っていること、悪性腫瘍を中医学で治療していること、などが紹介されています。
どれも最大関心事なので直ぐにamazonから取り寄せて読みました。

中医学に惚れ込んで熱く語る著者の姿に、私も自分の来し方に非常に似ており、共感することが多く、これから漢方を学ぼうという方には是非ともこの書を薦めたいと思いました。
あら探しのようですが次に私が感じた事を少し書いて、一読者の感想と致します。

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著者は自分のC型肝炎に従来から常識とされていた小柴胡湯を長く服用していたが、少しも良くならないので中医師に相談したら、加味逍遥散+平胃散を薦められた由である。
そしてそれを服用し始めると肝機能指数が改善され始めた。
さらに自分で中医学を勉強し始め、自分の証を肝気鬱結・肝腎陰虚と弁証し、一貫煎加減
を運用し始めてからどんどん良くなっていった、とある。

小柴胡湯 → 加味逍遥散+平胃散 → 一貫煎加減

この流れに余り意味があるとは思われないのだが……。
滋陰性の一貫煎加減が正解処方であるとすれば、燥湿性の加味逍遥散+平胃散は一体何だったのか?

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また花粉症のところで、くしゃみ・鼻水・鼻づまりがあったら小青竜湯を立て続けに飲ませれば9割の人は良くなる、とある。
これは少し乱暴な結論で、弁証と清熱剤を熱く論じてきた著者にしては論考の薄さが感じられる。
直ぐその後に出てくる辛夷清肺湯の方意と比較しても、温性の小青竜湯はちと納得がいかない。

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『中医病因病機学』

主  編:  宋鷺冰
 訳   :  柴崎瑛子
発 行 所: 東洋学術出版社
発 行 年: 1998/05/01
定  価: 5,600円
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 この度は実に内容の充実した書籍を入手しました。
「病機」という言葉はウチダの「和漢薬」誌上では夙に村田恭介氏によって「中医病機治法学」の翻訳紹介によって知るところですが、正確には意味を理解しておりませんでした。
しかしこの本はすごいです。この本を読めば中医学の何たるか、その本質を知ることが出来ます。
今までバラバラにしか読んでいなかった『内経』の言葉もこの本を読むとハッキリとその意味するところが分かります。
これにてますます、現代医学とは発想を異にするもう一つの医学である中医学を世に普及させなければならないという使命を新たにします。

この本には中医学の処方は一つも出てきません。
すべて基本原理であり、思想の本質的なバックボーンを綿密に、正確な資料の収集により解説したものです。
文献学的にも貴重な資料で、中国の文化の歴史的な厚みを感じます。
これを読んで感動しなかったら、もうその人は漢方を学ぶに値しない人だと言っても過言ではないのではないかと思いました。

べた褒めついでに一つだけご紹介しておきます。
よく「薬とは病気そのものを治すのではなく、治ろうとする病人をほんのちょっとだけ手助けするものだ」と説明しますね。この本のあるページには概略次のように書かれています。
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《傷寒論》では傷寒病の転変を津液の存亡で捉えようとしている。
津液は病気そのものではなく、転変のための条件の一つである。
病機を見るとは、転変のための条件を観察することにほかならない。
そして治療とは、病気が回復に転変するための条件を発見し、調えることである。
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ここに至って私の感動は頂点に達して、この紹介文を書かなければならなくなった訳です。
まだまだ若いですね!

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『なぜ中国医学は難病に効くのか』

  日大医学部脳神経外科研究所助教授 酒谷 薫
  PHP研究所 出版 \1400

『中医臨床23-3(90)』の書評
科学的知識を持った現代人が必ずぶつかる壁、「陰陽五行説」についても、当初筆者自身がアレルギーを起こして抵抗を感じたという経験から、受け入れやすい解説を与えている。
そしてさらに、その理論は、最新の物理学にも通じた、先進的な生命観を有するものであるとも著者はいう。

 最近は殆ど単行本を読む気にならなかったのに、この一点に惹かれて本書を一気に読みました。
次にいくつか注意を引いた事を列挙してみます。

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・現在の中国では針麻酔はどこにも行われていない。結局、針麻酔はまやかしだったのです。
(いきなり大胆な結論でショックを受けましたが中国の現実がそうならそれが本当の所でしょう。しかし日本でこんなにハッキリと断定した人は居なかったのではないでしょうか。)

・中国では一つの漢方薬を長期間に渡って投与し続けることは少ないから……小柴胡湯の間質性肺炎については問題にもならなかった。
(柴胡や黄岑が原因だとか、証が合わないからだとか色々いわれましたが、それを云う先に何よりも長期投与が原因であるという視点は単純明快です。)

・現代日本の漢方治療は、暗闇の中で手探りで鍵を鍵穴に差し込むような治療、と言える。
(理論的な中国医学に対して旧来の方証相対を根拠とする日本漢方を批評している。)

・中国医学がホリスティック医学と並べて論じられるが、ホリスティック医学は有機的総合体とか自然治癒力とかいうけれど、彼らは部分を考えずに、全体を議論している。
(ホリスティックの方は観念論に過ぎない。中国医学の方は全体を構成している部分に対する分析があっての全体性であると指摘している。)

・中国医学は西洋医学に対して、治療だけでなく診断も補完する可能性を有している。
(日本の漢方が西洋医学の治療の一助としてエキス剤を利用しているに過ぎない。薬物だけでなく診断法においても西洋医学と対比できる内容があると。)

・中国医学は日本漢方と別物といって良いほどの違いがある。
(類似点もあるだろうが手厳しく批判したほうが分かりやすいというもの。)

・中国医学の臓器とは架空の臓器である。
(病気のメカニズムを考える上で必要になった概念としての臓器。解剖上の臓器とは区別したほうがスッキリしますね。)

・陰陽偏盛を実証、陰陽偏衰を虚証とする。
(正虚邪実をもって虚証・実証とする従来の説明を別の角度から云われてハッとした。)

・治療方針が単純であればあるほど、その選択の正否は治療結果に大きな影響を及ぼす。
(中国医学の治療方針が「不足は補す」「有餘は瀉す」という単純なものだからといって軽視してはいけないということ。)

・脾に問題があると、汗をかきやすくなるのです。
(中医師たちには常識なのですね。)

・気血不足も淤血です。
(気虚血淤の概念は知っていてもこれ程にハッキリと言い切られると驚く。)

・中国医学こそ、日本のホスピスに最も適した治療法ではないかと思うのです。
(死を待つだけのものではなく、最後まで治療法があるという意味で。)


最後に注目したいのは著者自らが目撃した2つの症例、進行性筋ジストロフィーと筋萎縮性側索硬化症の患者に対する手応えは本書での圧巻です。

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『許浚』<ホジュン> 上・下巻

東医宝鑑

『許浚』<ホジュン> 上・下巻 各1,900円 李恩成著/朴菖熙訳
発行 株式会社結書房 // 発売 株式会社桐原書店

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私は今やっと上巻を読み終えたばかりですが、一刻も早く皆さんにお知らせしたくてならず、これを書いています。
初めの頃は漫然と読んでいたのですが、内容が次第に漢方的になってくるや俄然面白くなり、上巻を読み終える頃には感動のあまり不覚にも涙が出てきてしまいました。是非とも皆さんに一読を薦めます。

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(インターネットの宣伝より引用)

この本は、漢方の本家、中国の漢方書「本草綱目」を凌ぐと評価された朝鮮医学の集大成、全25巻の医書=「東医宝鑑」を著した実在の名医・『許浚』の波乱の生涯を描いた感動のドラマである。
韓国でテレビドラマとなり視聴率60%を獲得。韓国の人々が涙し、感動したその底流にある想いを私たちは共有できるだろうか。朝鮮民族の心を知る待望の書。

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 ほぼ四五〇年ほど前に朝鮮の地に生まれ、不朽の漢方名著『東医宝鑑』を遺した名医・許浚を描いた本書は、もともとはシナリオであった。先にテレビドラマ化されて高視聴率を獲得し、次いで小説化されたものである。
 本書は長大であるが、波瀾に満ち、手に汗にぎる人間ドラマが展開され、息もつかせない。
読者は予備知識なしでもストーリーに引き込まれるにちがいない。

ホジュン

(本文より引用)
村人たちが採ってきたもぐさは薬用として精製されたものでもなく、灸につける火もまた、禁忌とされる八種の木、つまり松・柏・楡・桑・棗・枳殻・橘などの木を避ける暇がなかった。
 結局、村翁にもぐさを搗いてふるいにかけ、小さく丸める要領を教え、ようやくできあがった灸を患部の上に載せて蝋燭の火ですえるといった臨時の便法に依るほかなかった。
 また、もともと灸は薬や鍼の及ばない重症の場合の治療の手段であって、その据える時刻も厳守されるべきであった。
灸をかならず昼以降に据えるのは、朝方はまだ人体に穀気が充分にまわらず虚ろな状態にあるため、灸によって皮膚に燃え入る激動が生じれば、それだけ血行が不順になることが危ぶまれるからである。
 「医は真心を尽くせば禁忌を超える」とは、いつか聞かされた柳義泰の教えだが、今その一言が許浚を励ましていた。

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私には『東医宝鑑』についての特別な思いがあります。
手元には昭和47年、株式会社 日韓経済新聞社発行の『東医宝鑑』があります。定価は一万円もしました。
解説によると日韓経済新聞社の上原金一社長の英断により口語訳と発刊が決められたそうですが、翻訳者には四名の名があってもその人達の経歴すら書かれていません。

この書物が手に入った時は小躍りする位に嬉しかったものです。
何故なら当時はまだ中医学は入って来ていなくて、台湾の張明澄氏の斬新な解説が唯一の手掛かりでしたから、この一書の豊富な内容は百科事典的ではあっても欠けたるところを補って余りあるものだと感じました。
おそらく一冊だけでは繰り返しめくる内に擦り切れてバラバラになってしまうだろうからと二冊も買ったほどにほれ込みました。
赤鉛筆で線を引くやら、処方の索引を作るやら、サブノートを作るやらして本書を活用して店頭相談に応じていました。

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(あとがきより引用)
 八十三種の古典方書と漢、唐以来編集された七十余種の医方書が引用されている。このように膨大な資料を基に作成された『東医宝鑑』は、許浚の編集力と著述能力の優秀性が高く評価されている。
朝鮮で出版された後、日本と中国に伝えられ、今日に至るまで貴重な漢方臨床医学書としてその地位をたもっている。朝鮮人の著作としてこの書ほど中国、日本人に広く読まれた書はおそらくないだろう。
 『東医宝鑑』の公刊は、朝鮮本国はもとより、日本、そして漢方の〝本家〟中国にも多大な影響を与えてきた。
日本では、一六六二年に江戸幕府が使節団を朝鮮に派遣した折に同書を求めており、それをもとに一七二四年、京都書林より出版され、続いて一七九九年、一九八四年にも本書が刊行されている。

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読むのが遅い方でして、やっと今日下巻まで読了しました。
目が霞んでチョロチョロになっているのに、興奮が消えぬ間に感想を報告したくて書いています。

あとがきを読むとこの本は登場人物なども事件も皆かなり忠実に史実を追っているらしい。
日本語への翻訳や出版などの経緯もドラマチックです。
結書房にとっては最初の出版物になるようで、よくもこんな売れるか売れないか分からないものを取り上げたものです。よっぽどの思い入れがあったに違いありません。

なかでも驚くのは韓国人自らが自国の民衆や官僚の恥ずべき国民性を隠さずに描いている事です。
数知れない逆風の中をホジュンは物凄い執念で切り抜けていきます。
そして息もつかせぬ事件が続き、読者を飽きさせません。

勿論現在でも韓国では『東医宝鑑』は漢方(韓国では東医という)のもっとも信頼すべき正統派の古典です。
現在はほかに有名な四象理論などもあるようで、韓国の漢方はどのようなものになっているのでしょうか。

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中医証候鑑別診断学 (第2版)

証候鑑別に対する中国の執着には驚くべきものがあります。
一方我々日本人の証候に対する思いは如何でしょうか?
借りてきた異文明の医学、輸入医学からどれだけの進歩があったでしょうか?

『中医証候鑑別診断学』第1版が1987年に出てから8度の印刷を経て16年がたちました。
その間の中国での発行部数は十余万冊に及ぶといわれています。
それがこの度は再び39人の新旧のスタッフにより改訂版が出版されました。
第1版はいろいろ試行錯誤の結果が伺えて面白かったのですが、まだ整理不十分のところが多くて未熟なものだったと思います。
しかし今度の第2版は第1版の証候総数が311条だったものが483条に増えています。
それだけに一層精密になり整合性も向上しています。

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